一ノ瀬王子(いちのせおうじ)は、稲葉根王子跡の岩田神社から富田川(岩田川)沿いに進み、一ノ瀬橋を渡った富田川左岸にある。前出の古文書『田辺領神社書上帳』によれば、蛇形の石を神体とし、本山派山伏威徳院が社役を勤めていたという[8]。
史料上には、『明月記』建仁元年(1201年)10月13日条に「一ノ瀬王子」とある[9]ほか、寛喜元年(1229年)の藤原頼資の独参記に「於石田一瀬昼養」、 吉田経俊の『経俊卿記』建長6年(1254年)2月7日条や康元2年(1257年)閏3月28日条に記述が見られる[10]。
一ノ瀬は富田川の渡河点であることから、水垢離の場として重んじられ[11]、『源平盛衰記』巻40の平惟盛の熊野詣記にも岩田川にて垢離をとったと記され、『熊野縁起』にも祓の場所と述べられている[10]。その後も、足利義満の側室北野殿の熊野参詣記『熊野詣日記』応永34年(1427年)9月26日条に、中世熊野詣の故事にちなんで垢離をとったとあるほか、文明5年(1474年)の『九十九王子記』にも、その名が見られる[10]。
宝暦14年(1764年)の古文書(興禅寺蔵)によれば、近世初頭に既に廃絶しており、その旧蹟もながらく不明なままであったが、紀州藩の調査で旧社地が確定され、再興された際の棟札が伝えられている[8]。『田辺領神社書上帳』によれば、建前3尺四方、表口2間・裏口1間の拝殿、境内は奥行き4間・幅3間であったという[8]。1907年(明治40年)、対岸の春日神社に合祀され、以来、小祠と高さ2mほどの石碑が旧社地にのこされている[12]。
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旧社地は和歌山県指定史跡(1955年〈昭和33年〉4月1日指定)[4]。
所在地 上富田町市ノ瀬小山1592
鮎川王子 [編集]
鮎川王子(あゆかわおうじ、あいかわおうじ[13])は、一ノ瀬王子から富田川を北上した対岸にある。前出の古文書『田辺領神社書上帳』によれば、冠千早袴着神像を祀り、本山派山伏貴明院が社役を勤めていたという[13]。
『明月記』建仁元年(1201年)10月13日条に「次参アイカ王子」とあり、『熊野縁起』や『九十九王子記』にも「鮎河」との記述が見られる[14]。
1874年(明治7年)、対岸の住吉神社に合祀され、その際、18世紀前期に建立された本殿も移設され[15]て今日に伝わるが、その後の道路改修により旧社地周辺の往時の面影は完全に失われた[13]。1889年(明治22年)の水害までは、社地の前の河原に水田があり「王子田」と呼ばれており、後背の山は「王子山」「権現山」などと呼ばれたという[16]。
旧社地には鮎川王子碑と大塔宮剣神社碑が建てられている[16]。大塔は、大塔宮護良親王が元弘の乱で敗北ののち、大塔山中に落ちのびたとする落人伝説の地であり[17]、大塔宮剣神社の創建の由緒は大塔宮にまつわるものであると伝えられている