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電子音楽は進歩的な作曲家によって作曲され

第二次世界大戦後の数年間、電子音楽は進歩的な作曲家によって作曲され、従来の楽器の表現を超越する方法を実現するものとして迎えられた。

現代的な電子音楽の作曲はフランスで、1948年のレコードを用いたミュージック・コンクレートの作曲から始まった。これは町の中の音など具体音を録音し、レコードで編集するものである。したがって最初のミュージック・コンクレート作品は、フランスでピエール・シェフェールやピエール・アンリによってレコードを切断して作られた。その他アメリカでは、フランスから渡ったエドガー・ヴァレーズなどがミュージック・コンクレートなどより編集しやすいテープ音楽を製作している(デイヴィット・メイゾンとエアハルト・カルコシュカからの出典)。

一方で電気的に生成された音による電子音楽(この場合の電子音楽という言葉は狭義で、具体音を使うミュージック・コンクレートに対して、電子音のみの音楽という意味で使われる)が、ドイツのケルンにある西ドイツ放送WDRの電子音楽スタジオでテープを使って生まれた。こちらの分野ではカールハインツ・シュトックハウゼンやゴットフリート・ミヒャエル・ケーニッヒが最初期から活躍し、シュトックハウゼンの「少年の歌」・「コンタクテ」などの傑作が生まれた。コンタクテの器楽合奏バージョンでは、早くもテープと器楽の生演奏とを組み合わせている点が注目される。少し遅れてハンガリーから亡命したジェルジ・リゲティも参加し、初期の管弦楽曲「出現」や「大気」、「ロンターノ」の作曲技法の大きな指針となった。イタリア国立放送RAIの電子音楽スタジオでは、ルチアーノ・ベリオ(「ジョイスへのオマージュ」「ヴィザージュ」)、ブルーノ・マデルナなどが活躍した。

当時のドナウエッシンゲン現代音楽祭ではフランス人はレコードを、ドイツ人はテープをそれぞれ持参して自作を発表した。この少し後、ポーランドのクラクフのクシシュトフ・ペンデレツキらは独自に電子音楽を研究し、「広島の犠牲者に捧げる哀歌」などを作曲する技術(トーン・クラスター)を開拓している。作曲者本人へのインタビューによると、彼の初期の優れた器楽作品群は電子音楽なしでは全く考えられなかったとのことである。

ミュージック・コンクレートと、狭義の電子音楽とをまとめてテープ音楽と総称する。

日本ではNHK電子音楽スタジオが世界の電子音楽の初期から設立され、黛敏郎によってミュージック・コンクレートと電子音楽がいち早く日本に紹介された。シュトックハウゼンが来日し作品「テレムジーク」を作るなど、NHK電子音楽スタジオの当時の功績は大きい。日本の作曲家では武満徹、湯浅譲二、松平頼暁などがここで活躍した。

武満や湯浅はNHKスタジオにかかわる以前から、東京通信工業(ソニーの前身)から開発されたばかりのテープレコーダーおよびそれとスライド写真を組み合わせたオートスライドを借りてきて、その機械を使ってテープ音楽を製作していた。また彼らの属する芸術家グループ実験工房で、それらテープ音楽やオートスライドの作品発表会を行っている。これらの活動は草の根ながら、世界的に見てもテープ音楽の歴史の初期にあたり先鋭的な活動をしていたことを意味する。
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音を発生することを目的に作られた電子音楽スタジオではなく、一般的な計算機としてのコンピュータを、作曲上のパラメータを決定する自動作曲に用いた最初の例としては、レジャレン・ヒラー(Lejaren Hiller)とレオナルド・アイザックソン(Leonard Isaacson)による、イリノイ大学のコンピュータILLIAC I を使った「イリアック組曲」 (1957年)が挙げられる。

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2009年06月04日 12:50に投稿されたエントリーのページです。

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